『物件探さナイト』では、物件絞り込みの時に『人気エリア』を検索キーワードで設けています。今回、ナイト市場では有名なこれらの人気エリアにある神社仏閣にスポットを当ててみました。
北新地のすぐそばにある神社と言えば、通りの名前にもなっている有名な「お初天神」です。この神社は、正式名称を露天神社(つゆのてんじんしゃ)と言います。浄瑠璃・歌舞伎脚本の第一人者である、近松門左衛門作の人形浄瑠璃「曽根崎心中」の題材となった心中事件が実際にここで起こったと言われており、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになったと言われています。
ちなみに「物件探さナイト」=(株)PJの大阪の事務所は、このお初天神のすぐそばにあります。
表参道・裏参道から入ると大きな牛の像があります
「表参道」「裏参道」「東側参道」「西側参道」と入口がありますが、境内の中で目に留まるのが大きな牛の像です。一般的には、「なで牛さん」と呼ばれ、自分のからだの病むところと神牛様の同じ場所を交互になでるという信仰が、昔から続いています。神牛様に身代わりになっていただく、または神牛様のお力で病を治癒していただこうというものとのことです。また、神牛様は菅原道真公ともゆかりの深いことから、最近では学力向上を願う学生や受験生が多数参拝しているとのことです。
水天宮
水天宮はもともと寛政9年(1797年)6月に大阪中之島・久留米藩蔵屋敷内に祀られた社です。明治維新の時に蔵屋敷は朝廷に返上され、水天宮の御神霊は丸亀藩蔵屋敷の金刀比羅宮に合祀されました。しかし、丸亀藩蔵屋敷も返上することになり、高松藩蔵屋敷の金刀比羅宮に遷されました。そして、その後、堂島中二丁目に遷座されました。さらに明治42年の「北の大火」で社殿が被災したため現在の場所に遷され、露天神社の境内社として斎祀されるようになりました。
明治天皇御誕生の際、孝明天皇が御安産を御祈誓、無事御降誕の後、当水天宮(久留米藩蔵屋敷内)へ鳥の子餅を御奉納されたと伝えられています。
玉津稲荷
前述の明治42年「北の大火」によって近在各地に祀られていた四社の稲荷社が烏有に帰しました。翌年に当社境内地に四社を合祀し御奉斎申し上げたと言われています。
古くは皮膚病の治癒を願って「鯰」の絵馬が多数掛けられ、お百度を踏む人々で混みあうほどだったと伝えられています。
恋人の聖地
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「大阪」と「梅田」の違いは皆さんよくご存知だと思いますので、特には触れませんが、JR大阪駅、地下鉄・私鉄の各梅田駅から徒歩ですぐの東通り商店街からお初天神通り商店街は、居酒屋・飲食店・娯楽施設・イタリアン・お寿司などなどのお店が連なり、いつも賑わっているところです。『物件探さナイト』の物件が掲載されている北新地のエリアとつながっているイメージです。北新地に行く前に、是非一度、お初天神にお参りされてはいかがでしょうか。